第一次世界大戦中の故人追悼カード
故人追悼カード
このページでは、「故人追悼カード」とでも呼ぶべきものを取り上げてみたい。
この種のカードは、現在は葬儀のときに故人を偲んで列席者に配られるらしいが、当時もおそらく同様だったのだろう。フランス語では souvenir mortuaire(直訳では「死者の思い出」)ないし memento(同「追憶」)と呼ばれるが、定訳がないので、とりあえず「故人追悼カード」としておく。現在では淡いカラーのものも使われるが、当時は下の画像のように白黒で、喪を示す黒で縁取りされたものが一般的だった。葉書よりもふた回りほど小さく、片手に収まるほどの大きさである。
ここで取り上げる「故人追悼カード」の場合、印刷された紙の上に、楕円形にハサミで切り取られた故人の写真がのりで貼りつけられている。
写真をよく見ると、襟首と帽子のところに83という数字が縫いつけられているが、これはこの青年が所属した連隊の番号(歩兵第83連隊)を示している。
この青年の死は、フランス国防省戦死者データベースでも確認することができる。それによると、ミシェル=ジョゼフ・ボルドナーヴは、1894年にスペインに近いピレネー山脈の麓にあるオド Odos 村で生まれた。幸か不幸か1914年に20才を迎え、歩兵第83連隊に配属されて戦地に赴き、フランス北東部マルヌ県のプロンヌ Prosnes 村で戦死した。死亡直後に作成された文書には特に「中毒」と書き込まれているので、毒ガスにやられたのではないかとも考えられる。いずれにせよ、この大戦によるフランスの140万人の戦死者のうちの一人であることは間違いない。
まだフランス人がほぼ全員キリスト教徒(カトリック)だった時代のものであり、死者を悼むのにふさわしいキリスト教の聖人や説教師の言葉、あるいは聖書の一節などが記されている。
〔表面〕
面識のあった皆様、愛された皆様、
(写真)
祈られるときは思い出してください。
1917年2月1日、23才で戦場に散った
ミシェル=ジョゼフ・ボルドナーヴ
のことを。
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地は私たちの愛情でこの者を覆い、天はこの者を受けとりました。主よ、いままでこの者を私たちにお貸しになり、我らに幸福をもたらしていただきましたが、いまあなたは私たちにこの者を要求されます。私たちは異議を唱えずにこの者を返しますが、心は苦しく、悲嘆に暮れています。(聖エフレム)
神は彼を苦しみによって試され、ご自分にふさわしい者であると判断された。(『知恵の書』3:5)
彼は自分を忘れ、他人のことしか考えなかったので、みな彼を愛していました。(ナジアンズの聖グレゴリオ)
彼の友人全員の哀惜のうちに、彼への讃辞が見出されます。(ボシュエ)
彼と面識のあった皆様、彼のことを愛された皆様、彼のためにお祈りください。
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憐れみ深いイエスよ、彼に永遠の安らぎを与えたまえ!
〔裏面〕
ああ、主よ、もしあなたが望まれたなら、今日あなたの面前で私が流しているこの熱い涙は、私の目から溢れていないでしょう。もしあなたが望まれたなら、この心から愛される人は生き永らえ、まだ私のそばにいたことでしょう。その死によって私の心は打ち砕かれています。しかし私はあなたの意志を尊び申し上げます。その思し召しは窺知を許さず、あなたの意志は見かけ上は峻厳なときでもつねに慈悲に満ちています。私は異議を唱えずにそれに従おうと努め、頭を垂れ、おお神よ、私を打ちのめしている苦しみの十字架を、あなたの十字架に重ねながら受け入れます。この十字架を担えるよう、お力をお貸しいただきたいと、お願いするばかりです。
ああ、主よ、打ちのめされた私の心をお支えください。希望を失った者たちのように悲しまなくて済むよう、信仰の慰めに満ちた思いによって、私の心を活気づけください。私が悼む者をあなたの王国にお迎えください、おお父よ、この者の過ちを忘れ、この者の苦しみと長所のみを御心にお留めください。この者に慈悲を垂れ、安らぎを与えていただきますように。主よ、私が生きることが御心に召すなら、私が聖別されることをお許しになり、私がかくも愛した人々に、そして、神よ、何にもまして愛さねばならないあなたに、いつの日か再び合流することができますように。アーメン。(神父ラコルデール師)
以上に見た「故人追悼カード」とは別に、「死亡通知状」faire-part mortuaire というものも存在した。これは埋葬・葬儀の日取りを故人の知人に知らせるためのもので、郵便で送られた。
しかし、前線で戦死した兵士の「死亡通知状」はあまり存在しない。戦闘で死者が出た場合は、そもそも遺体を回収することすらできないのが普通であり、幸運にも埋葬される場合は、一般に仲間の兵士たちの立ち合いのもとで埋葬され、もちろん家族や知人が前線に呼ばれることはなかったからである。
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