「北鎌フランス語講座」の作者による、葉書の文面で読みとくフランスの第一次世界大戦。

クラオンヌの歌の日本語訳

クラオンヌの歌

 兵士の手紙では、軍による検閲や、家族を心配させたくないという一種の自己検閲が働き、弱音や不平不満は書かれていない場合も多い。それを補う意味で、第一次世界大戦当時の歌として有名なクラオンヌの歌を取り上げてみたい。

 きわめて単純に図式化するなら、ラ・マルセイエーズで威勢よく始まった大戦は、幻滅を経てクラオンヌの歌で終わるといえるかもしれない。

歌の背景について

 大戦が始まって2年以上が経過した頃、フランス北東部ではヴェルダンを中心として独仏両軍が一進一退の攻防を繰り広げていたが、基本的には塹壕でにらみ合う膠着状態を打破することができず、消耗戦の色が濃くなっていく。1916年12月、それまでフランス軍最高司令官だったジョフル将軍は事実上の引責のような形で名誉職にしりぞき、後任には、すぐにドイツ軍を打ち破ると豪語するニヴェル将軍がつくが、人命を軽視して無意味な突撃を重ねるだけの「ニヴェル攻勢」は無数の死傷者を出したのみで完全な失敗に終わり、フランス兵士の間では不平不満が蓄積されていく。1917年春、ロシア革命の影響もあってフランス兵士が一斉に大規模な反乱(上官への命令不服従)を起こし、フランス軍は深刻な崩壊の危機にさらされることになる。このクラオンヌの歌は、その当時の兵士の心情を歌ったものとされており、俗語や隠語をまじえ、母音を省略したくだけた話し言葉による独白体の歌となっている。なお、クラオンヌは北仏ピカルディー地方エーヌ県にある村の名で、この地域では「クランヌ」と発音されているが、フランス全体では一般に「クラオンヌ」と発音されている。

Eric Amado による歌 (YouTube)
Marc Ogeret による歌 (YouTube)

歌詞と日本語訳

La Chanson de Craonne
クラオンヌの歌

作詞:不明 日本語訳:大橋 尚泰

Quand au bout d'huit jours le r'pos terminé
On va reprendre les tranchées,
Notre place est si utile
Que sans nous on prend la pile
Mais c'est bien fini, on en a assez
Personne ne veut plus marcher
Et le cœur bien gros, comm' dans un sanglot
On dit adieu aux civ'lots
Même sans tambours, même sans trompettes
On s'en va là-haut en baissant la tête

一週間たって休息が終わり
これからまた塹壕に戻るんだ
我々の場所は非常に重要だから
我々がいなければ負けてしまう
でも、もうおしまいだ、もうたくさんだ
誰ももう歩きたくない
胸がいっぱいで泣き出しそうだ
一般市民に別れを告げる
太鼓もなくトランペットもなく
頭を垂れてあの場所に行くんだ

Adieu la vie, adieu l'amour,
Adieu toutes les femmes
C'est bien fini, c'est pour toujours
De cette guerre infâme
C'est à Craonne sur le plateau
Qu'on doit laisser sa peau
Car nous sommes tous condamnés
Nous sommes les sacrifiés

さようなら人生、さようなら愛
さようなら、すべての女性たち
もうおしまいだ、永遠に
このおぞましい戦争のせいだ
クラオンヌの高地で
命を落とさねばならんのだ
だって俺たちは皆死刑囚なんだ
俺たちは犠牲者なんだ

Huit jours de tranchée, huit jours de souffrance
Pourtant on a l'espérance
Que ce soir viendra la r'lève
Que nous attendons sans trêve
Soudain dans la nuit et dans le silence
On voit quelqu'un qui s'avance
C'est un officier de chasseurs à pied
Qui vient pour nous remplacer
Doucement dans l'ombre sous la pluie qui tombe
Les petits chasseurs vont chercher leurs tombes

一週間の塹壕は一週間の苦しみ
しかし希望もある
今夜は引き継ぎがやってくるという
待ちに待った引き継ぎが
突然、夜の中で音もせず
誰かがこっちにくるのが見える
猟歩兵の将校だ
俺たちと交替するためにやってきたのだ
ゆっくりと、暗闇で雨が降る中
猟歩兵が自分の墓場を探しにいく

Adieu la vie, adieu l'amour,
Adieu toutes les femmes
C'est bien fini, c'est pour toujours
De cette guerre infâme
C'est à Craonne sur le plateau
Qu'on doit laisser sa peau
Car nous sommes tous condamnés
Nous sommes les sacrifiés

さようなら人生、さようなら愛
さようなら、すべての女性たち
もうおしまいだ、永遠に
このおぞましい戦争のせいだ
クラオンヌの高地で
命を落とさねばならんのだ
だって俺たちは皆死刑囚なんだ
俺たちは犠牲者なんだ

C'est malheureux d'voir sur les grands boulevards
Tous ces gros qui font la foire
Si pour eux la vie est rose
Pour nous c'est pas la même chose
Au lieu d'se cacher tous ces embusqués
F'raient mieux d'monter aux tranchées
Pour défendre leur bien, car nous n'avons rien
Nous autres les pauv' purotins
Tous les camarades sont enterrés là
Pour défendr' les biens de ces messieurs là

大通りで浮かれ騒いでやがる
お偉方たちを見ると悲しくなる
あいつらにとって人生はばら色でも
俺たちにとってはそうではない
あいつらは皆こそこそ後方で隠れてないで
塹壕に行きゃあいいんだ
自分たちの財産を守るために だって俺たちには何もない
あいつらと違って俺たち哀れな貧乏人には
仲間は皆あそこに埋葬されているんだぞ
あの偉そうなやつらの財産を守るために

Ceux qu'ont l'pognon, ceux-là r'viendront
Car c'est pour eux qu'on crève
Mais c'est fini, car les trouffions
Vont tous se mettre en grève
Ce s'ra votre tour, messieurs les gros
De monter sur le plateau
Car si vous voulez faire la guerre
Payez-la de votre peau

お金を持ってるあいつらは戻ってくるだろう
なにしろ、あいつらのために皆へとへとになっているのだから
でも、もうおしまいだ、一兵卒は
皆これからストライキに入るのだ
今度はあんたたちの番だ、お偉方さんたちよ
あの高地に立つのは
どうしても戦争をしたいというなら
自分の命を代償にするがいい



訳語について

 ある本で見かけた「クラオンヌの歌」の日本語訳で、気になった点があるので指摘しておきたい。その本では、上の「塹壕に行きゃあいいんだ」の部分の「monter aux tranchées」が「塹壕へ上って行く」と訳されている。しかし、monter(上る)という言葉は物理的な高低とは関係なく、第一次世界大戦当時の兵士の間の隠語で「塹壕に行く」「前線に赴く」の同義語として広く使われた。塹壕は地面に掘られているので、物理的にはむしろ「下りる」はずだが、「上る」と表現したわけである。おそらく、敵の砲火にさらされる危険な場に身をさらすというイメージだったと思わる。逆に descendre(下りる)は「後方にしりぞく」「宿営地に戻る」と同義語で使われた。通常、日本語では塹壕に行くことを「塹壕へ上る」という言い方はしないので、「塹壕に行く」というように訳した。



歌詞にみられる共産主義的な構図について

 この歌では、貧しい者は前線で危険な目にあわされているのに、裕福な人々は後方でぬくぬくとしているという認識が見てとれる。しかし、これはこの歌が大戦後の1919年になってから共産主義者ポール・ヴァイヤン=クーチュリエ Paul Vaillant-Couturier によって採録・刊行されたという事情が関係している可能性がある。実際には、兵士の間ではさまざまなバージョンで歌い継がれており、上とはまったく違う歌詞も存在したことが歴史学的な研究で明らかとなっている。つまり、この歌詞を標準的なものとして採録したヴァイヤン=クーチュリエや、さらにはこの歌詞を兵士の間で流布させようとした人々は、労働者とブルジョワの対立という共産主義的な見方を広めようとしていた可能性がある。そうだとすると、当時の政府や軍部によるプロパガンダとは逆の、いわば共産主義によるプロパガンダということになる。そのことを無視して、この歌の意義を過度に評価・強調しようとするのは、公平を欠いたことかもしれない。
 ただ、大戦中の同じフランス国内で「非日常的な戦闘が行われている前線」と「日常が支配する後方」という対立があったことはおそらく事実であり、前線の兵士が休暇を得て故郷に戻るときに、この落差の激しさを強く感じさせられたことは、多くの兵士が残した手紙からも見て取ることができる(たとえば「1916年4月10日-日常が保たれていたパリ」の葉書を参照)。
















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