「北鎌フランス語講座」の作者による、葉書の文面で読みとくフランスの第一次世界大戦。

アポリネールのカリグラム

 「カリグラム」とは、通常の文章のように直線状に書くのではなく、絵のような形に言葉を配置して視覚的効果を狙う詩的技法のことを指す。

 ここでは、第一次世界大戦に従軍したギヨーム・アポリネールの詩集『カリグラム』に収められている詩「二等牽引砲兵」の全文を訳してみたい。この詩には、有名なエッフェル塔の形をしたカリグラムをはじめ、合計 5 つのカリグラムが含まれている。

 この詩は、堀口大学訳の『アポリネール詩集』(新潮文庫)にはもちろん、紀伊国屋書店の『アポリネ-ル全集』全一巻にも、青土社の『アポリネ-ル全集』全四巻にも収録されていない。
 このうち、青土社の全集では、驚くべきことに何の断りもなく詩集『カリグラム』から削除されているが、紀伊国屋書店の全集(p.618)には「日本語に訳出することが不可能であった」ために収録しなかったと書かれている。
 しかし、究極的には、すべての詩が外国語に翻訳不可能であり、極論すれば、外国語に訳された詩はすべて誤訳だとさえいえるのだから、この詩についてのみ誤訳を恐れて訳さないのは道理にあわない。というわけで、無謀にも本ホームページで訳を試みてみたい。

 まず最初に、エッフェル塔のカリグラムだけを取り出して訳と解説を載せ、次にこれを含む「二等牽引砲兵」の全訳と、他の4つのカリグラムの解説を載せておく。

エッフェル塔のカリグラムの原文

エッフェル塔のカリグラム原文

Guillaume Apollinaire, Calligrammes ; poèmes de la paix et da la guerre (1913-1916), Mercure de France, Paris, 1918, p.75



エッフェル塔のカリグラムの日本語訳

大橋 尚泰 訳

エッフェル塔のカリグラムの日本語訳

 訳注

 下から 4 行目の tirer(引く)という動詞は、上からのつながりで見ると「(舌を)出す」という意味に取るのが自然だが、活字が大きくなる最後の 4 行だけを取り出し、これが「砲兵」の歌であることを踏まえるなら、「(大砲を)撃つ」という意味も重ねられているようにもみえる。とすると、「舌を出し 今後も 出し続けるのだ」の部分は「(大砲を)撃ち 今後も 撃ち続けるのだ」と読むこともできる。

 作品の中で、このカリグラムがエッフェル塔の形を模したものであると明記されているわけではなく、ここで「エッフェル塔のカリグラム」と呼んだのは仮の呼称であって、正式な名称ではない。



訳者解説

 このエッフェル塔のカリグラムは、1918年3月に刊行された詩集『カリグラム 平和と戦争の詩(1913~1916)』Calligrammes : Poèmes de la paix et de la guerre (1913-1916) の「軍旗」Étandard の章に収められている。詳しくいえば、この章の中の「二等牽引砲兵」(*) と題される詩に含まれる5つの「カリグラム」のうちの1つだが、これだけ取り出しても鑑賞に堪えるものとなっている。

  • (*) 紀伊国屋書店の全集では、2e canonnier conducteur は「二等砲兵牽引兵」と訳されているが、canonnier conducteur とは、陸軍の砲兵隊において、馬に乗って大砲や砲弾を牽引し、さらにそれを設置することを主な任務とする canonnier(砲兵)の一種であり、conducteur は事実上形容詞として使われているのだから、「砲兵牽引兵」ではなく「牽引砲兵」と訳すべきである。

 「軍旗」の章に収められている詩篇は、1914年8月の開戦以降、アポリネールが前線に赴く1915年4月までの間に作られたとされている。この中の詩「二等牽引砲兵」は、スイスのチューリッヒで発行された未来派の小雑誌『ミストラル』Der Mistral の創刊号(1915年3月3日発行)に Feldpostbrief(「軍事郵便の手紙」を意味するドイツ語)という題で初めて発表された。

 1914年8月上旬、第一次世界大戦が始まると、ドイツ軍はフランスの領土に深く攻め入り、北仏の市民を見せしめに虐殺して占領下に置きつつ、パリの東方にあるランス大聖堂をはじめ多くの家や建物を破壊した。開戦から1か月後の1914年9月上旬には、ドイツ軍の攻勢を前に50万人近いパリ市民がパリを脱出し、アポリネールも同じ時期に南仏に逃れた。その後、マルヌ会戦によってフランス軍がドイツ軍を押し戻すと、塹壕を挟んで戦線は膠着状態となる(ただし、1915年3月にはドイツ軍の飛行船ツェッペリンがパリに飛来して爆弾を投下し、パリ市民を恐怖に陥れるといった出来事も起こる)。

 外国人だったアポリネールは、徴兵義務はなかったが、志願して兵隊となり、砲兵隊に配属された。ただし、この詩を作った当時はまだ南仏ニームの部隊に留まっており、前線には立っていなかった。とはいえ、このカリグラムには、ドイツ軍の攻撃を果敢に受けて立とうとする意気盛んな気持ちがよく表れている。

 いうまでもなくエッフェル塔はパリの象徴(さらにはフランスの象徴)であり、詩の中に出てくる「舌を出す」とは、相手を馬鹿にし、嘲笑する仕草である。つまり、パリ(そしてフランス)が、ドイツ軍の攻勢に動じることなく、俗な表現をすれば「上等じゃないか」と受けて立とうとしているわけだ。
 言い換えれば、これはドイツ軍の武力攻撃に対する、言葉による「雄弁な」応酬を詩の形にしたものだといえるだろう。

 こうしてみると、このカリグラムは、エッフェル塔の形をしていると同時に、一歩も譲らずに力強く両足を踏ん張っている姿を表しているようにも見えてくるから不思議だ。

 精神分析学的な見方に慣れた人なら、この図柄に男性的な要素を容易に見て取るだろう。

 この詩を作ったのち、アポリネールは実際に前線に赴くことになる。しかも、比較的後方に陣取る砲兵では飽き足らずに、自ら志願して、より前線に近い歩兵に転じ、勇敢に戦ってこの詩の内容を「有言」実行してみせることになるのだ。

 「アポリネール」Apollinaire という名前は、ギリシア神話の青年神アポロン Apollon を連想させるが、まさに詩をつかさどると同時に戦いでも無敵の強さを誇ったとされるアポロンさながらの、均整の取れた男性美がこのカリグラムには見て取れるといえないだろうか。

関連する絵葉書
1915年7月27日-デフォルメされたエッフェル塔



アポリネール「二等牽引砲兵」の原文

 上で取り上げたエッフェル塔のカリグラムは、アポリネールの詩「二等牽引砲兵」の一部をなしている。

 詩の中には5つのカリグラムが挟まれており、そのうちの4番目がエッフェル塔のカリグラムだ。
 まず、1918年の初版の原文を転載しておこう。

「二等牽引砲兵」1ページ目

「二等牽引砲兵」2ページ目

「二等牽引砲兵」3ページ目

 このように、この詩は3ページにわたって掲載されている。

 原文では2ページ目は横向きになっているが、90度回転させ、縦向きに直しておいた。

 5つのカリグラムは、順に、

  • ラッパ
  • 軍靴
  • ノートルダム大聖堂
  • エッフェル塔
  • 砲弾

を描いたものと考えられる。
 ただし、アポリネール自身は各カリグラムに題をつけているわけではない。前後の内容を踏まえて素直に見ると、おおむね以上のように見えるというだけで、絶対にこうだと決めつけられるわけではない。



砲兵隊についての予備知識

 
 訳す前に、この詩に含まれる当時の軍事用語について、少し説明しておきたい。

 第一次世界大戦では、さまざまな大きさ(口径)の大砲が用いられ、大型のものは自動車や列車でないと運べなかったが、フランス軍の主力となった小まわりのきく小型の75 mm砲は、弾薬とともに「前車」と呼ばれる二輪車に載せたうえで、6~8 頭ほどの馬で牽引して運んだ。馬は 2 列に並べられ、左側の馬にのみ人が乗り、右側の「副(そ)え馬」と呼ばれる馬とともに、鞭を使って 1 人で 2 頭の馬を御した。
「1915年5月16日-戦場のミサ」の絵葉書の写真を参照)

 馬に乗って大砲を運ぶ任務を帯びた砲兵を「牽引砲兵」canonnier conducteur と呼ぶ(要するに「御者」のこと)。
 最初は「二等牽引砲兵」から始め、経験を積むと「一等牽引砲兵」となった。

 これに対し、実際の砲撃中に次から次へと砲弾を用意して大砲に装填する砲兵のことを canonnier servant と呼ぶ(弾薬手、装填手のこと)。こちらは移動中は暇なので、この詩の中でも前車の上で肩を組んで眠っている姿が描かれている。

 それでは、全文を訳してみよう。そのあとで、エッフェル塔以外の 4 つのカリグラムについて解説を加えることにする。

 詩の前半は、「二等牽引砲兵」である「おれ」の独白のような形で書かれている。

 1 行目は、おそらく訓練づくめだった兵舎での窮屈な生活から抜け出した解放感と、いよいよ戦地に赴くにあたっての意気込みのようなものが感じらる。



アポリネール「二等牽引砲兵」の全訳

大橋 尚泰 訳

      二 等 牽 引 砲 兵

やっと自由になったぜ 仲間たちに混じって誇らしい気持ちだ
目覚めのラッパが鳴ったぞ 夜明けの中で おれは
抱いたことのない、あの有名なナンシー女に挨拶をする

1番目のカリグラムの日本語訳

三人の弾薬手が 互いに腕を組みあって 前車の上で眠っている
そして牽引兵であるおれは 馬上で上に下にと揺れながら
並み足、速足、駆け足で 大砲をはこぶ
将校の腕こそは おれの導きの星
雨が降る 外套が濡れる 時々おれは
副え馬のかばんに入っている雑巾タオルで顔を拭く
ああ歩兵たちだ 重い足どりだ 足が泥まみれだ
雨が針のように歩兵たちをつらぬく かばんがあとからついていく

2~4番目のカリグラムの日本語訳

歩兵たちよ
歩く土のかたまりよ
君たちは 
君たちを作った土の力なのだ
君たちが前進するときは
土が進むのだ
将校が 灰色の雨の中を
青い天使のように 駆け足で通りすぎる
負傷兵がパイプをくわえて歩いていく
ウサギが逃げていく おや おれの好きな小川だ
あの娘が おれたち御者に挨拶している
おれたちの顎ひもの後ろには 勝利の女神がついている
女神が大砲の角度を計算する
おれたちの怒濤の連射こそは 女神の歓喜の叫び
砲弾の描く見事な軌道こそは 女神の花束だ
栄光の塹壕で 女神が思案を凝らす

5番目のカリグラムの日本語訳





1番目のカリグラムについての注

 この1番目のラッパのカリグラムは、原文では出だしから CONNU(知った、抱いた)という単語がわざと CON(女性性器)と NU(裸の)という2つの単語に分割され、なにやら卑猥な雰囲気が漂っている。

ラッパのカリグラムの原文

ラッパのカリグラムの日本語訳

 実は、このカリグラムは、当時軍隊で流行していたらしい卑猥な「きんたまの皮」LA PEAU DE COUILLE という歌を踏まえて書かれている。売春婦との掛け合いなどが含まれた長い歌で、放送禁止用語だらけの下品な歌なので、訳は差し控えておくが、アポリネールの詩の元になった部分のみ抜き出して訳をつけておく(→ 全文)。
 なお、「ナンシー」とは、フランス北東部ロレーヌ地方の都市を指す。

  • L’as-tu connu, la putain de Nancy ?
    Qui a foutu la vérole à toute la cavalerie ?

    Les cavaliers qu’étaient pas dégourdis,
    S’étaient pas aperçu qu’elle avait mal au cul.

    Et les hussards qu’étaient plus démerdards,
    S’en étaient aperçu, mais il était trop tard.

    Mais les dragons qu’étaient pas des couillons,
    Ont fichu la putain à la porte du boxon.

  • 抱いたことがあるかい、ナンシーの尻軽女を
    あの女は騎兵隊みんなに梅毒をうつしやがったんだぜ。

    騎兵のやつらは世慣れてないから
    あの女が性病だとは夢にも思わなかったのさ。

    軽騎兵たちはもっと抜かりなかったから
    途中で気づいたが、あとの祭りよ。

    でも竜騎兵たちは間抜けじゃなかったから
    あの女を売春宿の外につまみだしたのさ。

 アポリネールのカリグラムでは、この歌の「騎兵隊」が「砲兵隊」に置き換えられている。
 この歌と照らし合わせると、カリグラムの原文で伏字になっている VXXXXX とは、性病「梅毒」VÉROLE であり、わざと抜かして書かれていない最後の単語は、限りなく「性器」という意味に近い「尻」cul であることがわかる。

 こうしてみると、この図柄はラッパ以外のものを描いたようにも見えてくる。
 それが何かというと、一義的に断定することはできないのだが……



2番目のカリグラムについての注

 
 この軍靴のカリグラムは、かかとに拍車がついたような形になっているので、歩兵ではなく、馬を操る牽引砲兵のブーツであることがわかる。
 とすると、この軍靴の形に配置されている言葉は、牽引砲兵である「おれ」の独白と受けとめることができそうな気もするが、しかし弱音を吐いている内容からすると、この直前に描かれた、雨に打たれながら泥の中を歩いている歩兵の心情を代弁していると取ったほうが自然かもしれない。

軍靴のカリグラム原文

軍靴のカリグラム日本語訳

 「歩法」とは、馬の「並み足、速足、駆け足」を指す。



3番目のカリグラムについての注

 このカリグラムも、ノートルダム大聖堂を描いたものだと明記されているわけではないが、言葉の内容を踏まえ、エッフェル塔の横に配されたこの図柄を眺めるなら、自然とパリの中心にあるノートルダム大聖堂が連想されてくる。

ノートルダム大聖堂のカリグラム原文

ノートルダム大聖堂のカリグラム日本語訳


 詩全体の流れという点からすると、

  • 1番目のラッパのカリグラムでは尻軽女の卑猥な歌を思い浮かべ、
  • 2番目の軍靴のカリグラムでは弱音を吐き、
  • 3番目のノートルダム大聖堂のカリグラムでは過去の追憶にひたり、
  • 4番目のエッフェル塔のカリグラムではドイツ軍を挑発する

というように、その瞬間瞬間で、いろいろな感情が兵士の心を去来しており、それぞれについてカリグラムが作られていると見ることができる。

 それぞれの感情が、絵となってぽっかりと兵士の心に浮かんでは、雲のように消えているわけだ。
 あるいは、心の底に映る花火の残像のようなものだといえるだろうか。

 ノートルダム大聖堂のカリグラムが小さいのは、兵士が追憶にひたっていた時間が短かったことを反映しているのかもしれない。



5番目のカリグラムについての注

 この最後のカリグラムの直前の、いわば「地」の部分の最後の 5 行では、すでに戦地に到着し、砲撃に参加している情景が描かれている。
 ただし、「砲弾の描く見事な軌道」を勝利の女神の「花束」にたとえる比喩などは、美しいものではあるが、多分に「想像」的なものでもある。
 それもそのはず、この詩を作った時点では、アポリネールは実際には南仏にとどまっていて、まだ前線には赴いていなかったからだ。

 しかし、最後に添えられた砲弾の形をしたカリグラムには、「想像」を吹き払うようなリアルな強さが込められている。

砲弾のカリグラムの原文

砲弾のカリグラムの日本語訳

 この「(獰猛な)鳥」は、「砲弾」の比喩と受けとるのが自然だ。

 これ以前のカリグラムは(雄々しいエッフェル塔のカリグラムを別にすれば)おもに細い曲線を多用した、線香花火のようにはかない図柄のものが多かった。
 それに比べて、この最後のカリグラムは、ずっしりと重量感のある形で描かれている。

 はかない夢想や想像から、ここで一挙に現実に引き戻されるような印象を受ける。





アポリネールの大戦中の略歴

1914年8月1日
アポリネール(1880年8月26日生まれ)がまもなく34才になろうとするとき、総動員令が発せられ、第一次世界大戦が始まる。日刊紙『コメディア』の記事を書くためにパリの北西にあるドーヴィルの海岸に来ていたアポリネールは、7月31日に自動車でパリに戻る。

1914年8月10日
アポリネールはポーランド人(当時ポーランドはロシア支配下に置かれていたため、法的にはロシア国籍)だったので、徴兵義務はなかったが、志願届を提出する。しかし、すぐには受理されない。

1914年9月3日
ドイツ軍の攻勢を前にして、パリを脱出し、南仏のイタリアに接する保養地ニース Nice に逃れる。

1914年12月
再度、志願届を提出して受理され、南仏ニーム Nîmes に本拠を置く砲兵第38連隊に配属される。

1915年3月3日
スイスのチューリッヒで発行された小さな雑誌『ミストラル』Der Mistral の創刊号に、エッフェル塔のカリグラムを含む詩「二等牽引砲兵」が初めて発表される。

1915年4月4日
砲兵第38連隊第45中隊に合流するため、前線に出発する(フランス北東部の大聖堂のあるランス Reims 方面)。

1915年4月16日
上等兵 brigadier(歩兵隊の caporal に相当)として、牽引砲兵や連絡兵など多様な任務に就く。

1915年8月25日
伍長 maréchal des logis(歩兵隊の sergent に相当)に昇進。

1915年11月20日
軍功と士官への昇進を欲して、歩兵に転じることを希望し、歩兵第96連隊に配属され、少尉(士官の最下位)となる。

1916年3月9日
念願のフランス国籍を取得する。

1916年3月17日
ランスの北西15 kmほどにあるビュットの森 bois des Buttes でドイツ軍の 150 mm 砲の砲弾の破片がヘルメットを貫通し、右のこめかみ部分を負傷する。
後方の野戦病院で手術を受けた後、パリの病院に移される。
年内に傷は癒えるが、後遺症が残り、以後は検閲などの後方勤務のかたわら、創作活動に打ち込む。

1918年3月
詩集『カリグラム』を出版する。

1918年5月2日
ジャックリーヌ・コルブと結婚する。立会人の一人は画家のピカソ。結婚式はパリ7区のサン=トマ=ダカン(聖トマス・アクィナス)教会でおこなわれる。

1918年11月9日
満身創痍の体を襲ったスペイン風邪により、フランスの勝利を見届けることなく、戦争終結の2日前に死亡する。結婚式と同じ教会で葬儀がおこなわれ、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。






















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