「北鎌フランス語講座」の作者による、葉書の文面で読みとくフランスの第一次世界大戦。

コンプレザンス印2 - アルザスの絵葉書

コンプレザンス印 2 - アルザス

 このページでは、いわゆる「コンプレザンス印」(本来の目的とは異なる意図をもって捺された印)が捺された第一次世界大戦中の葉書の他の例として、アルザスの絵葉書を取り上げたい。

 以下の一連の葉書は、アルザス地方の隣のベルフォールに住む葉書商から譲り受けたものである。この葉書商の話によると、葉書商の母親が第一次世界大戦で戦った兵士の息子から一括して譲られたのだという。その兵士は、大戦中に転戦したアルザス地方でさまざまな印を絵葉書に捺してもらい、自分のアルバムに貼りつけて保管していたらしい。
 そのため、葉書の裏側には、のりでアルバムに貼りつけた跡だけが残っている。宛名も文面も書かれていない。
 誰にも差し出されずにアルバムに貼りつけられていたので、ここに捺された印がいわゆる「コンプレザンス印」であることは明らかである。

 もともとアルザス地方は、1870年の普仏戦争でフランスが敗北した結果、ドイツ領に組み込まれ、これを取り返すことがフランスの悲願となっていた。1914年に大戦が始まるとすぐにフランス軍はアルザスに攻め入り、その一部(実際にはアルザスの中でもフランスに近い狭い地域)を奪還した。
 フランスが奪還した地域では、郵便印の整備が後回しとなり、手当たり次第にさまざまな印が消印として使用された。多種多様な印が飛びかったため、「とくに兵士の間では、役場に手紙を持っていって、記念に役場の印を捺してもらうことが流行するようになった」(Strowski, p.292)。

 とはいえ、さまざまな印を捺すことがアルザスの兵士の間で流行したのは、単に珍しいので面白がって捺したというだけではなく、戦争体験を思い出として残しておきたいという気持ちに加え、アルザスを奪還したという喜びや誇りの感情も少なくなかったであろうことは、1915年5月15日-アルザス奪還の葉書を読んでも想像がつく。

 以下、消印の日付順に葉書を並べ、そのあとで主要な印のみを取り出し、ついでざっと歴史的背景をまとめておきたい。

⇒ 大戦中のアルザスで使われた印(ページ下部)
⇒ 大戦中のアルザスの印の歴史的背景(ページ下部)



大戦中のアルザスの絵葉書

葉書 1 - 1915年2月11日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書01

オート=アルザス - ヴィウー=タン - ドイツ軍によって砲撃された教会



葉書 2 - 1915年2月11日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書02

ヴィウー=タン - 教会



葉書 3 - 1915年4月19日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書03

1914~15年の戦争 - シュタインバッハ(オート=アルザス)で砲撃中の長砲身120mm砲の砲兵隊 - 我らが砲兵はそれぞれの大砲にドイツ人になじみのある名前をつけていた(※)

(※)「1914~15年の戦争」と書かれているのは、この絵葉書が1915年に作られたため。当時は誰も戦争が1918年まで長びくとは思っていなかった。手前の大砲には、ドイツ語で KOLOSSAL(巨大)という愛称が与えられていたことがわかる。



葉書 4 - 1915年4月19日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書04

1914~15年の戦争 - オート=アルザスにて
シュタインバッハ近郊でのフランス軍の防御陣地



葉書 5 - 1915年4月19日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書05

1914~15年の戦争 - オート=アルザスにて
セルネーの前方でのフランス軍の塹壕



葉書 6 - 1915年5月5日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書06

1914~15年の戦争 -
奪還されたアルザス - 我らが兵士による占領後のシュタインバッハの一角



葉書 7 - 1915年5月5日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書07

1914~15年の戦争
アルザスでの軍事行動 - 火炎に包まれるシュタインバッハとセルネー(※)

(※)矢印で左右に「シュタインバッハ」、「セルネー」と書き込まれ、右下には「1914年12月~15年1月」と書き込まれている。おそらく、この絵葉書に印を捺してもらった兵士は、実際にこの場に立ち会ったのだろう。



葉書 8 - 1915年5月5日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書08

1914~15年の戦争 - 奪還されたアルザス - 我らが兵士の勇敢な突撃による勝利後のシュタインバッハの通りのようす



葉書 9 - 1915年6月30日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書09

〔紫のスタンプ〕1914~15年の戦争
1914~15年 アルザスにおける我らが兵士

〔写真上部の書き込み〕ヴェッセルランにおけるジョッフル将軍(※)

(※)フランス軍の最高司令官ジョッフル将軍が勲章を授与しているところを写したもの。実際に兵士の胸に勲章をつけてやっている、でっぷり太ったのがジョッフル将軍である。この授与式がアルザスの「ヴェッセルラン」で行われたというのは、実際にその場にいた人しかほとんど知りえない情報だったといえる(なお、ヴェッセルラン Wesserling はアルザスの地名特有の発音により、ヴェッセルリンとも発音する)。



葉書 10 - 1915年6月30日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書10

〔紫のスタンプ〕1914~15年の戦争
1914~15年 アルザスにおける我らが兵士

〔写真下部の書き込み〕ヴェッセルランにおけるジョッフル



葉書 11 - 1915年6月30日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書11

〔紫のスタンプ〕1914~15年の戦争
1914~15年 アルザスにおける我らが兵士
〔写真上部の書き込み〕兵士オーベルジュ(※)

(※)オーベルジュは兵士の名。当時、突撃で一番乗りを果たして勲章を授けられ、有名人になっていた。



葉書 12 - 1915年6月30日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書12

1915年のアルザスにおける7月14日(※)

(※)7月14日のフランス革命記念日の閲兵のようすを写したもの。



葉書 13 - 1915年11月2日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書13

〔紫のスタンプ〕1914~15年の戦争
ヴィウー=タン - 崩れ落ちそうな煙突



葉書 14 - 1916年?月?日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書14

オート=アルザス - ビッチュウィレール町
チュールの谷 - 1916年7月14日のアルザスの少女のグループ(※)

(※)少女たちの頭の上の大きなリボンのような黒い飾りは、アルザスの女性の民族衣装。7月14日のフランス革命記念日なので、着飾っている。



葉書 15 - 1916年?月?日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書15

オート=アルザス - ビッチュウィレール町
チュールの谷 - 1916年7月14日のメインストリート



葉書 16 - 1918年7月4日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書16

アルザスで祝われた最初のアメリカ独立記念祭
  ワシントン    フォッシュ
     1776年7月4日
  ラファイエット  パーシング(※)
ビッチュウィレール町(フランス領アルザス)- 全景

(※)ジョージ・ワシントンは、アメリカ独立戦争の司令官で、初代大統領。ラファイエットは、アメリカ独立戦争でイギリスからの独立を支援したフランスの軍人。フォッシュは、1918年当時の連合国最高司令官。パーシングは、第一次世界大戦でアメリカ軍を率いた司令官。要するに、アメリカ独立戦争のときはフランスがアメリカの独立を支持したが、第一次世界大戦ではアメリカがフランスの味方に立っているという、両国の友好関係を表現したもの。アルザスの民族衣装を着た女性のスタンプが捺されている。



葉書 17 - 1918年10月19日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書17

ビッチュウィレール=タン - ドイツ軍の砲撃を受けた男子校



葉書 18 - 1919年9月9日の日付印(アルザス、タン)

大戦中のアルザスの絵葉書18

1914~18年の戦争
ヴィウー=タン(アルザス)- ドイツ軍の砲撃を受けた大通り(※)

(※)戦争孤児のための寄付金つき切手が貼ってある。



葉書 19 - 1919年10月25日の日付印(ウフォルツ)

大戦中のアルザスの絵葉書19

1914~1918年の戦争 - シュタインバッハ(アルザス)- 砲撃された工場



以上の葉書の裏面

Alsace19v.jpg

以上の葉書の裏面は、みなこのように何も書かれておらず、アルバムに貼りつけた跡だけが残っている。



大戦中のアルザスで使われた印

 以上の葉書に捺されている主な印を取り出し、整理して並べておきたい。
 大きくドイツ語の印とフランス語の印に分かれる。

 ドイツ語の印

印1
大戦中のアルザスの印1

大戦中のアルザスの印2

BÜRGERMEISTER-AMT THANN, OBER-ELSASS
オーバーエルザス県 タン町役場(※)

(※)戦争前にドイツの行政機関で使われていた、王冠を戴いている鷲のマークの印。1915年5月15日の葉書でも出てきた。

印2
大戦中のアルザスの印3

大戦中のアルザスの印4

Freiwillige Sanitätskolonne vom roten Kreuz, Thann Els.
エルザス、タン 赤十字志願救護班

印3
大戦中のアルザスの印5

大戦中のアルザスの印6

TROMPETER-VEREIN, THANN
タン トランペット協会(※)

(※)これについては詳細不明。

 フランス語の印

印4
大戦中のアルザスの印7

大戦中のアルザスの印8

MAIRIE, HAUT-RHIN, THANN
オー=ラン県 タン 町役場(※)

(※)1870年にドイツ領となる以前にフランスの役所で使われていた印。月桂樹の葉(右側)と柏の葉(左側)を組み合わせたもの。

印5
大戦中のアルザスの印9

大戦中のアルザスの印10

MAIRIE DE BITSCHWILLER, (HAUT-RHIN)
オー=ラン ビッチュウィレール町役場(※)

(※)オー=ラン県ビッチュウィレール=レ=タン町役場の公印。やはり鷲が王冠を戴いている。

印6
大戦中のアルザスの印11

COMMUNE DE BITSCHWILLER, ALSACE
アルザス ビッチュウィレール町

印7
大戦中のアルザスの印12

VILLE DE SAINT-AMARIN, (ALSACE)
サン=タマラン町(アルザス)

印8
大戦中のアルザスの印13

ADMINISTRATION DE L'ALSACE, THANN
タン アルザス行政機関(※)

(※)以上 3 つは「女神座像」の行政印(公印)。

印9
大戦中のアルザスの印14

DES CHEMINS DE FER DE CAMPAGNE, 8e SECTION
DÉTACHEMENT de WESSERLING (Alsace)(※)

(※)野戦鉄道、第8小隊
ヴェッセルラン分遣隊(アルザス)

印10
大戦中のアルザスの印15

THANN, ALSACE
アルザス、タン(※)

(※)消印は15年2月11日なので、タン郵便局開設(1915年2月1日)の10日後ということになる。

印11
大戦中のアルザスの印16

UFFHOLTZ 
ウフォルツ(※)

(※)通常なら消印の下側に記される県名が空白になっている。



大戦中のアルザスの印の歴史的背景

 以上の印の歴史的背景について、Strowski, p.288 以下をもとにまとめておきたい。

 1914年8月、第一次世界大戦が始まり、1870年の普仏戦争以来ドイツに併合されていたアルザスの一部をフランス軍が奪還すると、1914年10月6日以降、フランス支配下のアルザス市民はフランスの切手を貼ってフランスの他の地域に手紙を出せるようになった。
 当初はフランス軍と役所が協力して郵便業務に当たった。

 役所では、切手に消印を捺すための印を持ち合わせていなかったので、最初は戦争前にドイツの行政機関で使われていた印(印1)を使って切手に消印を捺していた。
 ついで、1870年にドイツ領となる以前にフランスの役所で使われていた印(印4)を探し出して使うようになった。
 その後、新しく ALSACE(アルザス)という文字の入った「女神座像」の印(印6~8)を作成して使うようになった。

 こうして役所ではさまざまな印が捺されたので、兵士の間では郵便物を役所に持参して記念に印を捺してもらうことが流行した(このページで取り上げた絵葉書がまさにその例)。

 1915年になり、戦局が安定すると、フランスが奪還した地域では、それまでの軍の郵便に代わって民間の郵便局が郵便業務を担当するようになり、合計6つの郵便局が開設された。

  • タン Thann(1915年2月1日開局)(印10
  • モーシュ Moosch(同)
  • ヴェッセルラン Wesserling(同)
  • ダンヌマリー Dannemarie(1915年2月11日開局)
  • マスヴォー Massevaux(同)
  • モントルー=ヴィウー Montreux-Vieux(1916年12月1日開局)

 1918年、連合国側が勝利して大戦が終了し、アルザスがフランスに帰属することが決定的となったものの、まだ県名がはっきり決まっていなかった大戦直後の時期には、通常なら消印の下側に記される県名が空白になった印(印11)が暫定的に使われた。



 関連ページ
 コンプレザンス印 1

 関連葉書
 1915年5月15日-アルザス奪還









(追加予定)














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