「北鎌フランス語講座」の作者による、葉書の文面で読みとくフランスの第一次世界大戦。

フランスの召集令状

召集令状(赤紙)

 このページでは、第一次大戦当時に若い男性のもとに届いた召集令状(日本のいわゆる赤紙)を取り上げておきたい。

 召集令状は「往復葉書」の形になっており、郵便料金免除で届けられた。
 「往信用葉書」は白色、「返信用葉書」はピンク色になっている。
 これを受け取ったら、点線で切り離して「往信用葉書」(白色)のみを手元に残し、直ちに令状を受け取ったことを示す「返信用葉書」(ピンク色、受領届)にサインをして徴兵局宛に郵便で返送する決まりとなっていた。
 そのため、現存するのは兵士の手元に残った「往信用葉書」(白色)だけというケースが多い。

 しかし、次に紹介するものは、点線で切り離されず、珍しく往信用(白色)と返信用(ピンク色)がくっついた状態で残されている。

往信用(表面)
s_OrdredAppel010r.jpg
返信用(裏面)

往信用(裏面)
OrdredAppel010v.jpg
返信用(表面)


 以下、往信用から順に取り上げ、日本語に訳しておく。見やすいよう、印刷されている活字は黒字、手書きの部分と印は青字にした。

 往信用(表面)

召集令状 往信用 表面

マルセイユ徴兵局
  1906年徴集兵
特別検査番号 271
登録簿登録番号 3109
目録番号 015686

本人への重要な通達
 あらゆる主張または情報の要求は、本状を提示して遅滞なく憲兵に対しておこなう必要がある。

郵便局への通達
 受取人が不在の場合は、本状を他の場所に転送してはならず、徴兵局長官に返送する必要がある。郵便局員が受取人の新住所について何らかの情報を持っている場合は、ピンク色の受領届の該当欄に記載されたい。
   召集令状
  受取人が保持し
 部隊への到着時に提示すること
エルネスト・トゥールーズ殿
マルセイユ、ヴォーバン通り84番地在住

〔縦書き〕住所、転居順

 日付 1914年10月26
  徴兵局長官
     (サイン)

〔左の大きな印(女神座像)〕
マルセイユ徴兵局 
長官

〔右の消印〕
(ブーシュ=デュ=ローヌ県)
マルセイユ サン=フェレオル広場

14年10月26日17:40


 往信用(裏面)

召集令状 往信用 裏面

 戦争大臣の命令により
本状の受取人は
    直ちに遅滞なく
 第111歩兵連隊の アンティーブ カザン兵舎
に出頭するよう命じられている。
これは  日間の訓練を実施するためである。

 正当な理由なく召集に応じない予備役または国土防衛軍の軍人には、懲罰が科せられる。加えて、召集に続いて直ちに集合令も発せられ、もしそれに従わない場合は、その瞬間から軍人は帰隊違反の状態に置かれ、その結果として訴追がおこなわれる(徴兵に関する1905年3月21日の法律第85条)。

 通達-本令状により、本状所持者の居住地の駅からの鉄道の割引料金の権利が付与される。この権利は、定められた部隊への到着日前の3日間において行使することができる。
   通達
 帰還時は、所持者が鉄道の割引料金の権利が得られる期間は、定められた帰還日後の2日間である。ただし、部隊の長の特別な許可がなければこの権利を行使することはできない。

   帰還
 自宅に戻ってよしと判断する。
居住地
出発日

   部隊の長


 返信用(表面)

召集令状 返信用 表面

受領届

裏面にサインし、ミシン目に沿って
切り離し、切手を貼らずに直ちに
投函すること

マルセイユ
 徴兵局 長官殿


 返信用(裏面)

召集令状 返信用 裏面

 徴兵地
マルセイユ
  1906年徴集兵
特別検査番号 271
登録簿登録番号 3109
目録番号 015686
   受領届
下記にサインし、ミシン目に沿って
 切り離し、切手を貼らずに直ちに
 投函すること
 下記にサインする私ことエルネスト・トゥールーズ
 は、  日間の訓練を実施するために
 直ちに遅滞なく 日に
 アンティーブ の
 第111歩兵連隊 カザン兵舎
 に出頭するよう命じる召集令状を受け取ったことを
 認めます。
    にて    日

  該当者のサイン
 (非常にはっきりと)
該当者不在の
場合に、
郵便局が提供
または憲兵が収集
した情報


 さて、この召集令状は、第一次世界大戦の開戦から3か月弱が経過した1914年10月26日に南仏マルセイユの徴兵局が発行し、同じマルセイユ市内に住むエルネスト・トゥールーズという名の青年に届けられている。

 「1906年徴集兵」と書かれているが、これは1906年に20才に達したことを意味するので、この令状が発行された1914年当時は28才前後になっていたはずである。

 往復葉書に捺された消印の「サン=フェレオル広場」は、この青年の住むヴォーバン通りから数百mの距離にある。つまり、これは配達局の消印で、この召集令状が差し出された同じ日の夕方5時40分にこの消印が捺されたことがわかる。

 この召集令状は、往信用と返信用がくっついた状態で残されているが、これを受け取った青年は、令状を受け取っておきながら、返信用葉書(受領届)を切り取って送付せずに、そのまま放っておいたのだろうか。返信用(裏面)の下部にあるサイン欄にも、サインが記されていない。

 もし令状を受け取っておきながら、命令に応じずに放置しておいたのだとしたら、「徴兵忌避」として訴追の対象となり、強制的に憲兵に連行されて懲罰が科せられたはずだが、どうなったのだろうか……



 参考
 「1915年3月1日-召集されて失踪した弟についての手紙」



 追記
 フランスの第一次大戦では、総動員が下令されたら、軍隊手帳に記載されている所属の部隊の兵営に出向くように決められていたので、このページで取り上げたような召集令状(赤紙)は、むしろ例外的です。























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