「北鎌フランス語講座」の作者による、葉書の文面で読みとくフランスの第一次世界大戦。

『フランス人の 第一次世界大戦』

『フランス人の第一次世界大戦』の紹介

大橋 尚泰『フランス人の第一次世界大戦 ― 戦時下の手紙は語る』(えにし書房)
          (2018年6月25日 刊)

 


 版元による紹介のページ

本書の構成

序文(ロレーヌ大学名誉教授マルク・ガブリエル先生による)
刊行によせて(フランス陸軍少将ギー・フランソワ先生による)
はじめに
第1章 1914年
第2章 1915年
第3章 1916年
第4章 1917年
第5章 1918年
第6章 被占領地域
第7章 アルザス
第8章 ベルギー
第9章 ガリポリとサロニカ
第10章 捕虜
付録1 ある砲兵下士官の葉書
付録2 電報
付録3 用語解説
参考文献
おわりに
索引

章末コラム

  • ラ・マルセイエーズ
  • エッフェル塔のカリグラム
  • レオン・ユデル「兵隊」
  • クラオンヌの歌
  • 故人追悼のしおり
  • 占領下の「告示」
  • 「最後の授業」から授業の再開へ
  • ニウーポールのジャン・コクトー
  • ガリポリとサロニカに関するド・ゴールの手紙
  • 捕虜ド・ゴール大尉の脱走劇

 基本的には見開き 2 ページを 1 つの単位とし、左のページに解説と訳と注、右のページに葉書または手紙の画像を載せています。

 本文の画像は白黒ですが、高精度のスキャナーで取り込まれているので、薄い鉛筆で書かれた字などは実物よりも読みやすいほどです。

ホームページとの違い

ホームページとの違いは、

  • 相当数の葉書と手紙(とくに内容の濃い手紙)を追加したこと(逆に、ホームページに掲載されていても、内容的に興味の劣るものや分量の少ないものは本には取り上げませんでした)
  • ホームページ作成当時よりもはるかに徹底して連隊史、陣中日誌、軍人登録簿などに当たって調べ直したこと
  • 全体の構成を練り直し、通読に耐えるようにしたこと
  • 手紙を書いた兵士やその家族の子孫(孫など)に直接話を伺った内容も一部反映させたこと
  • フランス人の専門家にご教示を得たり、フランス人の歴史愛好家と意見を交換するなかで、認識を新たにした部分があること
    (逆に、今から見るとホームページの内容は修正の必要な部分もあるので、いずれ肝心な部分のみ修正する予定)
  • 解説や注にあたっては、細かく出典を明記したこと
  • 当時の資料と最近の研究書に含まれる複数の地図を参考にして描き下ろした地図(西部戦線の戦況図、アルザス、地中海・サロニカなど)を載せたこと
  • のちのフランス大統領シャルル・ド・ゴールの第一次世界大戦中の足どりを辿れるようにし、これまで未翻訳だったド・ゴールの大戦当時の手紙・手記類も抜粋・引用したこと

などです。

 本とホームページと重複する葉書・手紙類も相当ありますが、訳や解釈、解説は一部異なる場合があります。
 異なる場合は、本の方を優先するものとします。正確を期される場合は、同書に拠って頂きますようお願い致します。



本書で取り上げた手紙・葉書の一覧(日付順)

(付録とコラムで取り上げたものを除く)

1914年
1914年7月29日-開戦直前の要塞に走る緊張
1914年7月31日-不可避となった戦争
1914年8月1日-総動員令を告げる早鐘
1914年8月2日-チュニジアの音楽隊の出征
1914年8月2日-農村の人手不足に関する電報
1914年8月4日-早く戻ってこれるという喜び
1914年8月5日-いざ「ベルリンへ!」
1914年8月12日-あどけない表情のベルギー志願兵
1914年8月13日-歌いながら喜んで死ぬ覚悟
1914年8月17日-死を前にして迷いを振り払った言葉
1914年8月18日-ミュルーズ攻撃を控えたフランス兵
1914年8月21日-ダンヌマリー村役場にはためく三色旗
1914年8月23日-占領直前のアルデンヌ県のようす
1914年8月25日-ドイツ軍の進撃で浮足立つ市民
1914年8月27日-前線にいる兄弟の身の上を案じる葉書
1914年8月27日-リールに残留した妻子
1914年8月28日-子供たちだけでの避難
1914年8月28日-リールからあわてて脱出した人々
1914年8月29日-戦地から離れた街での日常の営み
1914年9月4日-政治家ジョゼフ・サンブフ直筆の葉書
1914年9月4日-フランス西部の疎開先から打たれた電報
1914年9月6日-フランス南端ニースの疎開先から
1914年9月6日-許可なく自動車の通行を禁止する電報
1914年9月6~8日-マルヌ会戦と同時期に破壊された城
1914年9月11日-ドイツ軍がパリに攻めてくる恐怖
1914年9月11日-占領されたポン=タ=ムッソンから
1914年9月14日-降りそそぐ砲弾のもとでの奇跡
1914年9月14日-前線付近の従軍司祭から
1914年9月18日、23日-戦闘を挟んで書かれた葉書
1914年9月26日-ディナンの虐殺を伝えるヘント市民
1914年9月27日-ドイツ軍に意図的に放火された民家
1914年10月2日-破壊されずに済んだオルレアンの大聖堂
1914年9月~10月頃-父親抜きでの夏休み
1914年10月25日-占領下のリールに住む妻子を案じる長男へ
1914年10月27日-伝え聞く捕虜生活
1914年10月31日-12歳の宿題ノート
1914年11月1日-戦艦ジュスティスの乗組員からの葉書
1914年11月24日-ベルギー臨時政府が置かれたサン=タドレス
1914年11月30日-2か月後に発見された遺体の埋葬
1914年12月1日-占領下のリールに住む妻子を案じる兄へ
1914年12月2日-「タウベ」の見張りと増える白髪
1914年12月6日-とても奇妙な戦争
1914年12月13日-頭皮をえぐり取った弾丸
1914年12月18日-戦闘中にサッカーで遊ぶイギリス兵
1914年12月23日-クリスマスの直前
1914年12月28日-老齢男性が前線の兵士に送る祈念
1914年12月29日-すでに広がっていた厭戦気分

1915年
1915年1月10日-フランスで療養中のベルギー将校の演説草稿
1915年1月12日-まだ「人間味」が残されていた戦争
1915年1月19日-女の子から捕虜収容所の父へ
1915年1月25日-初めて体験する塹壕戦
1915年2月2日-アルザス女性からアノネー収容所にいる兄弟へ
1915年2月10日-アルザスに抜ける峠から娘へ
1915年2月17日-アメリカで高まる反ドイツ感情
1915年2月19日-戦闘での負傷と後送の克明な記録
1915年2月22日-ランス砲撃と地下室への避難
1915年2月24日-フランス軍に拘束されたアルザスの村の男性
1915年3月1日-軍に出頭せずに失踪した弟
1915年3月28日-陽気にふるまってトルコとの戦いに赴く兵士
1915年4月2日-両軍の間に放置されたままの死骸
1915年4月20日-捕虜収容所の若い兵から祖父母へ
1915年4月23日-戦地に赴く直前の重苦しい雰囲気
1915年4月30日-尻の軽い女は煙突の数よりも多い
1915年5月10日-ルシタニア号事件の3日後
1915年5月15日-タンヌ村役場の新旧二つの印
1915年5月16日-砲兵隊の馬と戦場のミサ
1915年5月23日-タウベの爆弾でパニックになったパリの人々
1915年5月25日-戦う息子を応援する父親
1915年5月25日-白樺の皮に書かれた手紙
1915年5月29日-トルコと戦いに行く兵士にかける言葉
1915年5月31日-新聞雑誌は都合のよい情報ばかり流す
1915年5月31日-リヨンの飛行機工場で働くアルザス出身男性
1915年7月6日-35人中27人が戦死または負傷
1915年7月20日-毒ガスの砲弾を撃ち込む予定
1915年7月31日-惜しまれる戦友の死
1915年8月1日-ガリポリ半島の突端で攻撃を控えた兵士
1915年8月1日-イープル近郊ホーヘ村で使われた火炎放射器
1915年8月5日-ベルギー国歌にこめた思い
1915年8月8日-真情が伝わる壮絶な綴り間違い
1915年8月15日-前線近くでの運動会と閲兵式
1915年9月18日-落下してくる「大鍋」と「塹壕の職人芸」
1915年10月2日-「ダルビエ法」の反響
1915年10月5日-機関銃に撃たれながらの突撃
1915年10月21日-パリの軍需工場の爆発におびえる生徒
1915年10月23日-毒ガスが一般家庭にも届く
1915年10月28日-キンタマも凍える寒さのニウーポールの砂丘
1915年10月31日-毒ガスを吸い込んで苦しむ兵士
1915年11月1日-自分の名前も書けなった小作農の手紙
1915年12月18日-「何ごとにも終わりがある」
1915年12月21日-「何ごとにも終わりがある」
1915年12月31日-ドイツ占領下のベルギーでの年賀状

1916年
1916年1月6日-爆弾におびえる息子へ
1916年1月16日-前線で戦う者が銃後の男たちに抱く不公平感
1916年1月29日-視界不良がもたらす将校の絶望感
1916年1月29日-ツェッペリンによるパリ爆撃(その1)
1916年1月29日-ツェッペリンによるパリ爆撃(その2)
1916年2月11日-キャンプでの無意味な訓練
1916年2月28日-ヴェルダンの戦いの初日からの克明な描写
1916年3月19日-足かけ5年の捕虜生活
1916年3月21日-ビゼルト沖の駆逐艦ラ・イールから
1916年4月1日-奪還したサン=タマラン村への爆撃
1916年4月10日-日常が保たれていたパリ
1916年5月6日-「ドイツに勝つなんて無理」
1916年6月12日-ヴェルダンでの想像を絶する戦い
1916年6月29日-語り継がれるドイツ兵の残虐行為
1916年7月9日-逆向きに走るアルザスの蒸気機関車
1916年7月15日-養蚕農家からヴェルダンへ
1916年8月1日-オランダの捕虜収容所に監禁されたベルギー兵
1916年8月9日-ティオーモン要塞での負傷
1916年8月10日-赤十字経由での占領地とのやり取り
1916年9月5日-女性たちの感想
1916年9月22日-サロニカで攻め戻したフランス軍
1916年10月8日-捕虜生活が体格に及ぼす影響
1916年10月22日-丁寧な字で書かれた兵士の恋文
1916年11月23日-同じ故郷の友人の兵士に宛てた葉書
1916年12月25日-被占領地域から帰還した人々
1916年12月31日-18歳で兵隊とならないで済みますように
1916年12月31日-戦争が終わりますように

1917年
1917年1月4日-山中でのブルガリア軍との戦闘
1917年1月14日-生まれて初めての雪合戦
1917年1月19日-ごく身近にひそむ敵への怒り
1917年2月21日-去年はヴェルダン、今年はサロニカ
1917年2月21日-脱走した捕虜の指名手配の電報
1917年3月13日-ヒンデンブルク線への退却
1917年4月2日-駅への到着時刻を知らせる電報
1917年4月4日-国際色豊かなトゥールーズの火薬工場
1917年4月11日-「戦時代母」と「兵士の家」
1917年5月9日-カチュール・マンデスの息子プリミスの戦死
1917年5月27日-戦地に近い病院に見舞いに行った妻
1917年5月29日-パリの労働者のストライキ
1917年6月10日-死亡通知の電報
1917年6月21日-戦争中のストライキ「夫を返せ、さもなくば革命を!」
1917年6月22日-ドイツ兵捕虜の見張り役
1917年7月28日-休暇で会いに来てくれた戦友
1917年8月8日-地中海を往復する病院船
1917年8月16日-アメリカ参戦の軍事葉書
1917年10月3日-毒ガスの後遺症
1917年10月16日-上官が捕虜になったことを知らせる手紙
1917年10月26日-巨大な「列車砲」
1917年12月25日-シベリアの寒さの塹壕

1918年
1918年1月19日-「徹底戦争論者」への反感
1918年2月22日-ベルギー兵からフランスの戦時代母へ
1918年4月9日-パリ砲(太っちょベルタ)とパリの女学生
1918年4月11日-恋の傷心と憂鬱の虫
1918年6月15日-砲弾によって脳震盪を起こした兵士
1918年6月19日-頼もしいアメリカ軍
1918年7月13日-休戦を待たずして解放された捕虜
1918年8月8日-ドイツ軍を追いかけて
1918年8月10日-モンディディエ奪還直前
1918年11月1日-ドイツの降伏を待ちながら
1918年11月11日-休戦の知らせによる喜びの爆発
1918年11月13日-耳慣れない「休戦」という言葉
1918年11月15日-やっとつかみ取った勝利
1918年11月17日-戦争終結直後の北仏リールから
1918年11月25日-「祖国」というのは空疎な言葉ではない
1918年11月25日-大戦直後のアルザスへの凱旋(その1)
1918年12月10日-大戦直後のアルザスへの凱旋(その2)
1918年12月21日-大戦直後のロレーヌ地方メッスの絵葉書

1919年
1919年1月9日-ドイツ軍の侵入と撤退
1919年4月19日-復興作業をするドイツ兵捕虜の監督
1919年6月15日-戦後の墓地にて
1919年7月18日-戦後初めての革命記念日のパレード

日付不明
日付不明-デフォルメされたエッフェル塔の絵葉書
日付不明-フランスの勝利と平和を祈る言葉



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