「北鎌フランス語講座」の作者による、葉書の文面で読みとくフランスの第一次世界大戦。

葉書の文面で読みとくフランスの第一次世界大戦

 フランスにとって、今から百年ほど前の1914~1918年に起こった第一次世界大戦(当時は単に「大戦争」la Grande Guerre と呼ばれた)の意義は、はかり知れないほど大きい。これは死者数を見ても明らかで、第一次世界大戦によるフランス人の死者は140万人程度とされている。のちの第二次世界大戦での死者が50万人台だったことを考えれば、その規模の大きさがわかる。質的にも、たとえば第一次世界大戦を契機にしてダダイズムが生まれたことだけを取っても、いわば世界観が根底からくつがえされる出来事であったことは想像に難くない。
 ところで、第一次世界大戦当時は、また「葉書の黄金時代」でもあった。まだ電話が普及しておらず、無事に元気でいるかどうかの確認を兼ねて、兵士とその家族、友人間などで毎日のように葉書が交わされたからである。封書の手紙と違って、面倒な規則がなく、書きたいことを書きたい順序で書ける葉書は、いわば「敷居」が低く、あまり教養のない者でも気軽に書くことができた。兵士からの手紙や兵士への手紙は、基本的には郵便料金が免除されていたこともあり、この時代は歴史的にみてフランス人が最も大量の(現代よりもはるかに大量の)葉書をやり取りした時代だった。
 歴史上の偉大な人物の伝記を書くのではなく、大多数の無名の人々の感じ考えていたことを明らかにしようとする歴史家(いわゆるアナール学派の流れを汲む人々)にとって、当時の無名の人々が残した手紙や手記は貴重な一次史料として活用されており、フランスではその手の本も色々出版されている。しかし、特に戦闘のあいまに鉛筆で走り書きされたものなどは、必ずしも読みやすいとはいえず、鉛筆がかすれていたり、筆記体の癖が強いだけでなく、単語の綴りも滅茶苦茶なことが多いので、一流の文学者の自筆草稿を読む以上に文字の判読に苦労を伴う場合も少なくなく、日本ではほとんど取り組まれていない。
 そこで、筆者が趣味で個人的に集めている葉書の中から、「歴史の証言」という観点から興味深いものを中心に抜き出し、一部フランス人の専門家の協力も得て綿密に解読した上で、本ホームページに掲載していきたい。
 フランスのこの時期の葉書の実物に基づいて、文面の解読を試みたものは、書籍・インターネットを問わず、日本語で読めるものとしては本サイト以外にはあまり存在しないのではないだろうか。

  ⇒ 1914年の葉書(21通)
  ⇒ 1915年の葉書(30通)
  ⇒ 1916年の葉書(21通)
  ⇒ 1917年の葉書(15通)
  ⇒ 1918-19年の葉書(14通)
  ⇒ ベルギーの葉書(5通)
  ⇒ 被占領地(8通)
  ⇒ 捕虜への / 捕虜からの葉書(10通)
  ⇒ 日付不明の葉書(2通)
  ⇒ 兵士Aの葉書(34通)
  ⇒ 特殊使用(11通)
  ⇒ 電報(6通)
  ⇒ 封書(10通) その他

塹壕で手紙を書く兵士

塹壕の中で手紙を書く兵士



主な更新履歴
(都合により2017年末頃までの予定で更新はお休みしますが、お問い合わせ等には喜んでお答えいたします。)
2017/2/13 1915年1月12日-まだ「人間味」が残されていた戦争
2017/2/4 1915年8月1日-イープル近郊で使われた火炎放射器
2017/1/29 1914年8月18日-奪還したアルザスの住民の反応
2017/1/19 1915年11月1日-自分の名前も書けなった小作農の手紙
2017/1/16 1916年6月29日-ドイツ軍の残虐行為
2017/1/10 1914年9月6~8日-マルヌ会戦と同時期に破壊された城
2017/1/5 1917年6月21日-「夫を返せ、さもなくば革命を!」
2016/12/11 1915年4月2日-放置されたままのフランス兵の死骸
2016/12/5 1918年11月25日-「祖国」というのは空疎な言葉ではない
2016/11/29 1914年8月25日-フランス軍の敗退で浮足立つ市民
2016/11/22 1915年8月8日-真情が伝わる壮絶な綴り間違い
2016/11/22 1915年5月25日-被占領地出身の捕虜から子爵夫人へ
2016/11/15 1917年4月11日-「戦争代母」と「兵士の家」
2016/11/11 1914年8月17日-前線に赴く兵士のすがすがしい言葉
2016/11/6 1919年7月18日-戦後初めての革命記念日のパレード
2016/11/1 1915年7月6日-35人中、27人が戦死または負傷
2016/10/31 1915年3月28日-陽気にふるまって戦地に赴く兵士
2016/10/29 1917年8月8日-地中海を往復する病院船ラファイエット
2016/10/28 1916年5月25日-戦死者の墓の写真
2016/10/17 1916年3月21日-地中海ビゼルト沖の駆逐艦ラ・イールから
2016/10/15 1915年2月10日-アルザスから溺愛する娘への葉書
2016/10/14 1917年3月13日-ヒンデンブルク線へのドイツ軍の退却
2016/10/10 1916年4月1日-アルザスの村サン=タマランへの爆撃
2016/10/9 1918年2月19日-サロニカの戦利品とゴータの爆撃
2016/10/1 1914年10月8日-女友達の間での情報交換
2016/9/29 1916年7月15日-ヴェルダンでの想像を絶する苦しみ
2016/9/23 1914年8月21日-村役場にはためく三色旗
2016/9/22 1917年6月22日-ドイツ兵捕虜の見張り役
2016/9/19 1917年12月25日-シベリアの寒さの塹壕
2016/9/17 1914年12月19日-子供と兵隊の意外な共通点
2016/9/16 1914年12月6日-とても奇妙な戦争
2016/9/13 1915年10月23日-毒ガスが一般市民の家にも届く
2016/8/11 1918年2月22日-ベルギー兵からフランスの戦争代母へ
2016/8/7-9 アポリネールの詩「二等牽引砲兵」の全文訳を掲載
2016/8/4-6 アポリネールのエッフェル塔のカリグラムを訳
2016/8/4 1915年7月27日-デフォルメされたエッフェル塔
2016/7/31 1915年10月12日-前線から贈るペーパーナイフ
2016/7/23 1918年11月17日-休戦協定の約1週間後の北仏リールにて
2016/7/21 1915年2月17日-アメリカでのドイツへの報復の世論
2016/7/21 1918年11月25日-戦争直後のアルザスへの凱旋
2016/7/13 「穴あき封筒」を「用語解説」に追加
2016/7/13 1915年5月10日-弟が行方不明になった女性を慰める葉書
2016/6/7 「故人追悼カード」のページを作成
2016/6/6 1914年9月27日-ドイツ軍に意図的に放火された家々
2016/6/5 1918年12月21日-大戦直後のロレーヌ地方メスからの絵葉書
2016/6/4 1915年9月18日-自転車兵と落下してくる「大鍋」
2016/6/3 1914年11月1日-戦艦ジュスティスの乗組員からの葉書
2016/6/2 1915年5月10日-駆逐艦エピウーの乗組員からの葉書
2016/6/1 1917年10月26日-巨大な「列車砲」
2016/5/31 1918年8月10日-敗走するドイツ兵を追いかけて
2016/5/30 1914年10月2日-マルヌ会戦後に見かけた負傷兵の集団
2016/5/29 兵士Aの手紙の34通目-母に宛てた最後の葉書
2016/5/28 兵士Aの手紙の33通目-地面が揺れる名誉ある区域で
2016/5/27 兵士Aの手紙の32通目-少尉に昇進
2016/5/27 上等兵・伍長・軍曹・曹長の訳語について
2016/5/27 兵士Aの手紙の31通目-軍曹から曹長に昇進
2016/5/27 兵士Aの手紙の30通目-静かな村で
2016/5/24 1916年10月3日-小包へのお礼を述べたスイス宛の葉書
2016/5/23 1915年4月11日-月並みな手紙
2016/5/20-22 『仏国戦死軍人絶筆集』のページを作成
2016/5/17 1917年11月30日-オリエントから返送され、転送された手紙
2016/5/17 「戦争代母」を「用語解説」に追加
2016/5/17 兵士Aの手紙の29通目-幸福の余韻と戦争の現実
2016/5/17 兵士Aの手紙の28通目-「地獄の真っただ中」で
2016/5/15 1914年8月2日-農村の人手不足に関する電報
2016/5/14 1914年9月6日-許可なく自動車の通行を禁止する電報
2016/5/2 1915年3月1日-召集されて失踪した弟についての手紙
2016/5/1 1916年7月9日-逆向きに走るアルザスの蒸気機関車
2016/4/30 1916年6月8日-パリ8区の「兵士の家」の水兵たち
2016/4/29 1915年1月11日-ガリポリに向けて船に乗り込む憲兵
2016/4/28 「封書の手紙」ガリポリの戦いに赴く兵士への手紙
2016/4/26 兵士Aの手紙の27通目-2回目の休暇の段取り
2016/4/24 1914年12月2日-「タウベ」の見張りと満杯の背嚢
2016/4/23 1916年当時のパリの郵便局の一覧を追加
2016/4/21 1916年7月23日-葉書を入手するのも簡単ではない
2016/4/21 1914年10月5日-重宝される往復葉書
2016/4/16 「公用の電報」脱走した捕虜の指名手配の電報
2016/4/15 1917年4月2日-駅への到着時刻を知らせる電報
2016/4/15 1915年8月4日-転送後、返送された葉書(特殊使用)
2016/4/14 1914年9月14日-降りそそぐ砲弾のもとでの奇跡
2016/4/13 兵士Aの手紙の26通目-休暇の前日になったら電報を打つ
2016/4/13 用語解説に「郵便局員の数字の字体」を追加
2016/4/10 1914年9月4日-疎開先から打たれた電報
2016/4/9 「フランスの電報」のページを作成
2016/4/8 1915年6月16日-戦争が終わったらまた釣をしよう
2016/4/6 兵士Aの手紙の25通目-機関銃を撃ちあう飛行機の祭典
2016/4/5 兵士Aの手紙の24通目-蓄音機と慰問コンサート
2016/4/4 1917年9月10日-休暇中の兵士、「兵士の家」の印
2016/4/3 1916年5月10日-休暇中の兵士、駅軍事委員会の印
2016/4/2 用語解説にサロニカ(テッサロニキ)を追加
2016/4/1 1916年10月22日-兵士からの恋文
2016/3/29 フランスの臨時病院にいるベルギー軍人による演説の草稿
2016/3/28 1915年3月20日-差出人は収容所、家族は占領下
2016/3/27 1915年10月4日-モロッコの港町タンジェの多数の兵隊
2016/3/26 兵士Aの手紙の23通目-蓄音機とステンドガラスの指輪
2016/3/26 兵士Aの手紙の22通目-写真と服のでき上がりを待ちながら
2016/3/26 用語解説の「コンプレザンス印」の項を加筆・変更
2016/3/24 コンプレザンス印 2 のページを作成
2016/3/21 召集令状(赤紙)のページを追加
2016/3/21 1914年10月27日-伝え聞く捕虜生活
2016/3/20 1915年5月17日-塹壕でのベットの作り方
2016/3/17 兵士Aの手紙の20通目21通目
2016/3/17 1915年1月31日-飛行機に撃つのを眺めるのは楽しい
2016/3/16 「ピンクの星形の検閲印について」を追加
2016/3/15 1918年6月19日-頼もしいアメリカ軍
2016/3/13 「座せる女神像」を「用語」に追加
2016/3/11 コンプレザンス印のページを作成
2016/3/11 「コンプレザンス印」を「用語」に追加
2016/3/9 1915年12月18日-何ごとにも終わりがある(ピアノ教師宛)
2016/3/7 略号 FM, SM, CM を「用語」に追加
2016/3/5 1915年12月21日-何ごとにも終わりがある(捕虜宛)
2016/3/3 1918年11月11日-休戦の知らせによる喜びの爆発
2016/3/2 兵士Aの手紙の19通目-頭部を吹き飛ばされた中尉
2016/3/1 1915年3月31日-新聞雑誌は都合のいい情報ばかり流す
2016/2/29 兵士Aの手紙の18通目-降りそそぐドイツ軍の砲弾
2016/2/28 1914年8月3日のデクレを「郵便の法令・軍令」に追加
2016/2/26 1916年3月19日-足かけ5年の捕虜生活
2016/2/25 兵士Aの手紙の17通目-お金の貸し借り、陣地の変更
2016/2/24 兵士Aの手紙の16通目-水がたまった連結壕での行進訓練
2016/2/23 1915年7月20日-毒ガスの砲弾を撃ち込む予定
2016/2/22 1916年1月2日-ご子息が元気に帰ってきますように
2016/2/22 用語解説に「年賀状」を追加
2016/2/20 フランスのドイツ占領下の地域とのやり取り
2016/2/19 軍事郵便の法令・命令の日本語訳のページを作成
2016/2/18 兵士Aの手紙の15通目-何もしないでいるのは、うんざりだ
2016/2/18 兵士Aの手紙の14通目-収穫で忙しいぶどう畑を通過
2016/2/17 1915年10月9日-治療中の兵士の病状報告書
2016/2/15 1914年12月18日-戦闘中にサッカーをするイギリス兵
2016/2/13 被占領地のページを独立、ここに新たに3通を追加
2016/2/11 1915年3月6日-妻からドイツにいるフランス兵捕虜へ
2016/2/10 1917年1月14日-雪合戦と禁煙
2016/2/10 1917年1月19日-ごく身近にひそむ敵への怒り
2016/2/9 兵士Aの手紙の13通目-観測の任務を終えた夜
2016/2/8 郵便局の「窓口に手渡し」の印(特殊使用)
2016/2/7 兵士Aの手紙の12通目-ドイツ軍将校の丸焼き
2016/2/6 1917年10月26日-捕虜1万人と大砲120門をぶんどる
2016/2/5 ベルギー国歌1860年バージョンを追加
2016/2/5 兵士Aの手紙の11通目-休暇に帰る仲間の見送り
2016/2/4 兵士Aの手紙の10通目-嵐の前触れ
2016/2/2 兵士Aの手紙の9通目-写真と野うさぎ
2016/2/1 兵士Aの手紙の8通目-売れ残りの煙草と「観測」
2016/1/31 休暇中の兵士、軍事葉書に切手を貼って投函
2016/1/30 兵士Aの手紙の7通目-ライターと煙草、写真
2016/1/29 兵士Aの手紙の6通目-知人が見つからない
2016/1/28 兵士Aの手紙の5通目-布の寝袋
2016/1/27 兵士Aの手紙の4通目-前線への復帰途中
2016/1/26 日本の消印の日付の見方をフランス人向けに解説
2016/1/26 兵士Aの手紙の3通目-家族との再会
2016/1/25 兵士Aの手紙の2通目-まもなく休暇が取れる喜び
2016/1/24 兵士Aの手紙のページを追加
2016/1/23 1916年10月8日-捕虜生活が体格に及ぼす影響
2016/1/22 日本の葉書の年代推定法をフランス語で解説
2016/1/21 日付不明-パリ近郊の郵便配達人
2016/1/20 参考資料:占領下で発布された「告示」
2016/1/19 1917年8月16日-アメリカ参戦の軍事葉書(1)
2016/1/18 ベルギー政府の避難先サン=タドレスからの葉書
2016/1/16 1914年9月11日-ドイツがパリに攻めてくる恐怖
2016/1/14 日付不明の葉書のページを追加
2016/1/13 1915年12月31日-百年前のベルギーの年賀状
2016/1/12 ベルギーの葉書のページを新設、2枚を移動
2016/1/11 1914年8月5日-総動員令当日の人々の動揺
2016/1/8 「会計及び郵便」(用語解説)
2016/1/7 「郵便区」(用語解説)
2016/1/6 「カルト・フォト」(用語解説)
2016/1/5 1917年10月3日-毒ガスの後遺症
2016/1/4 1918年11月13日-休戦協定の2日後
2016/1/3 1915年8月19日-アミアン大聖堂に積まれた土嚢
2016/1/2 1916年2月頃-ツェッペリンのパリ爆撃(2, 3)
2016/1/1 1919年1月9日-ベルギーからのドイツ軍の撤退
2015/12/30 1917年8月21日-アメリカ参戦後
2015/12/28 検閲の葉書(2枚)
2015/12/27 1914年8月2日-チュニジアの音楽隊の出征
2015/12/25 1914年8月5日-開戦直後のようす
2015/12/23 1915年8月5日-「ラ・ブラバンソンヌ」
2015/12/23 ベルギー国歌「ラ・ブラバンソンヌ」
2015/12/22 1915年4月23日-戦闘直前の陰鬱な雰囲気
2015/12/21 1916年4月10日-日常が保たれていたパリ
2015/12/19-20 参考:クラオンヌの歌のページを追加
2015/12/18 1916年11月23日-故郷への一時休暇を追加
2015/12/17 1917年4月4日-トゥールーズの工場を追加
2015/12/17 郵便料金・貨幣価値のページを作成
2015/12/7-15 本ホームページ開始、葉書を三十数通追加。








本サイトに掲載している葉書、手紙、電報の類いは、すべて本ホームページ作者が所有しているものです。筆記体の解読、日本語訳、解説もすべて本サイト作者によるものです。無断転載は固くお断りいたします。

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